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サイババの真実とは?
藤井風さんのアルバムタイトルがサイババの言葉そのままだったということで、ファンの間で衝撃が走っています。
このサイババという人、いったいどのような人なのでしょうか?
私はサイババの名前や顔はもちろん知っていましたが、特別興味が湧いたことはありませんでした。
日本の認識では『手品をするペテン師的な人』とか『性的虐待の疑惑がある人』など、かなり怪しい疑惑があるようです。
逆に、何も知らずにサイババの写真を持っていたり、サイババのお香を使っていたりする人もいるようです。
私もサイババのお香を知らずに愛用していました。

お香の写真はサティヤ・サイババではないようです。
サイババのお香『ナグチャンパ』はいろんなお香の香りと比べると香りが良いので愛用しています。
サイババとは?
サティヤ・サイ・ババ(Sathya Sai Baba, सत्य साईं बाबा, 1926年11月23日 – 2011年4月24日)は、インドのスピリチュアルリーダー。日本ではサイババと呼ばれているが、サイ・ババの正確な発音は、サンスクリット語ではサーイ・バーバー(Sāi Bābā)、ヒンディー語ではサーイー・バーバー(Sāī Bābā)である。サティヤはサッティヤと発音される
Wikipediaによるとサイババはインドに住んでいたスピリチュアルリーダーです。
サイ・ババはヒンドゥーのヨーガ行者 (yogi) 、イスラームの修行僧つまりファキール(fakir) であり、没後も数多くのイスラーム教徒・ヒンドゥー教徒から聖者として崇められている。
初代はシルディ・サイ・ババですが、日本でよく知られるアフロヘアーのサイババは実は2世です。
サイティヤ・サイ・ババは1940年5月23日、14歳の時「自分はシルディ・サイ・ババだ」と宣言してサイババを名乗ることにしたそうです。
サーイー・バーバー(Sāī Bābā)という名称は「聖なる父」という意味
サイティヤ・サイ・ババは『サティヤ』『スワミ(修行者の意味)』と呼ばれることもある。
サイババの生涯
Wikipediaから引用してわかりやすくサイババの生涯をリストにしました。
- サティヤ・サイ・ババ(Sathya Sai Baba, सत्य साईं बाबा, 1926年11月23日 – 2011年4月24日)
- 1926年11月23日に南インド、アーンドラ・プラデーシュ州アナンタプラム県のプッタパルティという小村の貧しいラトナーカラム家に生まれる
- 本名はサティヤ・ナーラーヤナ・ラージュ (Sathya Narayana Raju)
- 1940年5月23日、14歳の時に自分はシルディ・サイ・ババ(シルディ・サーイー・バーバー)の生まれ変わりだと宣言する
- 1940年10月20日に家を出てから説法を始めると、不治の病を治すといった数々の奇跡が人々に知られるようになりインド全土で有名になる
- 1960年代末には海外にもその名が広まり、インド人やインド系の民族を中心に世界各国に数百万人以上の信奉者をもつようになった
この時期に世界中のアーティストがサイババやインドに興味を持ったと思われる - 1971年サイババを信仰しているアイザック・ティグレット氏がハードロックカフェを創業
モットーは『LOVE ALL SERVE ALL』(HRC公式サイト)というサイババの言葉で、ハードロックカフェの店名はドアーズのアルバム『モリソン・ホテル』のA面”HARD ROCK CAFE“が由来。
店内には言葉やサイババの肖像も飾られていたようです(参照記事) - 1990年代には、シャンカルダヤール・シャルマー元インド大統領や、ナラシンハ・ラーオ元インド首相らがサイ・ババを表敬訪問
この頃に日本でもサイババブームが起きる - 霊能者の宜保愛子がサイババに会いに行く番組など関連する番組が数多く作られた
- 1990年代末から2000年にかけて、イギリス人のデヴィッド・ベイリー(ピアニスト)らがサイ・ババのバッシングを始める
- 2000年9月、ユネスコはこれらの批判報道を憂慮し、サイ・ババの教育団体とユネスコの共催で開催予定だった教育会議への共催と参加を撤回した
- 2004年2月5日、ユネスコはインド政府ユネスコ常任代表に2000年の教育会議の一件に関する謝罪文を提出した(原文・訳文参照)
- 2001年を迎えるとサイ・ババの活動は見直され、再び信奉者が増え始め、無料の病院や学校、水道設備の供給といったサイ・ババの社会奉仕事業が高く評価されるようになった
(映像で見るサイババの生涯と使命 / YouTube) - 病院設立の際にハードロックカフェ創始者アイザック・ティグレット氏が大金をサイババに寄付(参照記事1)(参照記事2)
- 2001年、国連ハビタットはサイ・ババの提唱するヒューマンバリュー教育(EHV)を用いた水教育をアフリカ諸国で開始
- 2004年には国連ハビタットとアジア開発銀行がサイ・ババのヒューマンバリュー教育をアジア太平洋地域の水教育に導入するプロジェクトを開始
- 2001年11月23日にノーベル賞の選考機関ノルウェー・ノーベル・インスティトュート所長でありワールドスペース社(Worldspace)理事であるマイケル・ノーベルが、主要アシュラムである「プラシャーンティ・ニラヤム」を訪れ、世界中を放送対象地域とする24時間放送の衛星ラジオ局、サイ・グローバル・ハーモニーを寄贈した
- 2000年代には、アブドゥル・カラムインド元大統領、マンモハン・シンインド元首相をはじめ、インド各州の要人などが、毎年サイ・ババを表敬訪問
- アメリカではミズーリ州セントルイス市のフランシス・レイ市長が2005年9月11日を、アーカンソー州リトルロック市のジム・デイリー市長が2005年11月23日を、各市のサティヤ・サイ・ババの日に制定し、サイ・ババの人道的活動を称賛
- 5つの普遍的人間的価値(真実・正しい行い・平安・愛・非暴力)を主体とするサイ・ババの教育法は高く評価されており、カナダにおいては、ブリティッシュコロンビア州、オンタリオ州ブランプトン市、アルバータ州ストラスコーナ・カウンティー市、オンタリオ州オーロラ町などの多くの地方自治体がヒューマン・バリューの日を制定して、サイ・ババの教育法を推奨
- 2002年、サイ・ババは長年きれいな飲料水が得られず苦しんでいたタミル・ナードゥ州のチェンナイ市民のために、クリシュナ川から飲用可能な水を引いてくるガンガー・プロジェクトを開始
2004年にこのプロジェクトは完成 - サイババの名を語った商品一般企業から多く販売されるようになったが、サイ・ババは、自分の名を利用した商売を認めていない。
「中には、サイの名前を使って商売をしている人々がいます。彼らは、サイの帰依者を装って他者を騙しています。私は、そのような行動には賛成しません。彼らは帰依者などではありません。彼らは、国の内外を問わず、様々な場所に行ってサイの名前を使って金集めをしています。それは重大な犯罪です。私はただの1パイサも人に求めません。私は、決してそのような商売を承認することはありません。」と言っている(2002年7月22日) - 2011年3月下旬に呼吸器などの不調のため入院、4月4日には一時危篤に陥る
- 4月24日に入院先の病院で心肺不全により死去、満85歳だった。
- 葬儀は国葬(State funeral)として執り行われ、国葬にはマンモハン・シン首相、ソニア・ガンディーらが参列した。国葬はヒンドゥー教式で行われた(参照記事)
長いですがサティヤ・サイババは、生涯においてインド国内の慈善事業に尽くした慈善事業家という側面が見えてきます。
国際的にも尊敬されている偉業を成した人ということがわかりますね。
サイババの葬儀の映像を見るとわかるのですが、85歳でも黒髪だったようです。
やはりミステリアスなところもありますね。(サイババの葬儀:BBC)
ではなぜ日本でサイババは敬遠されるのか?